オタク徒然

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たぶん忘れてたのは 思い出じゃなくて 鍵の在り処だった

【小倉 唯】 LIVE TOUR 「Platinum Airline☆」東京公演を受けて

昨日行ってきた。

ずっとふたりで→BBBやシュガーハートエイク→Dearが最高だったとかwinter taleの振り付けが面白かったとか色々言いたいことはあるけれど、それ以上に小倉唯さんの人間性に打たれ、自身を省みることになるライブだった。

 

以前は「小倉唯にな(って彼氏の推しにな)りたい」と言いながら泣いていたけれど、彼女を好きになり理解したことで本心から「小倉唯になりたい」と思ってしまった。

彼女は私の求める全てを持っていた。それは自分の話をしても涙を見せないところだったり。圧倒的実力でオタクを黙らせるところだったり。孤独感に苛まれたオタクに「私がいるよ♡」って言えるところだったり。仕事やめたいと思っても持ち堪えることのできるところだったり。つまり、それらを全部まとめると「強さ」だ。

弱さというものは麻薬みたいなもので、人は人が泣いてたらなんとなく自分も泣いてしまう。例えば、小倉唯さんが「何度も仕事やめたいと思った」って言ってる時に涙を見せたら、私たちは更に彼女に対して支えたい守りたいと感じたと思う。でも、彼女はそうはさせなかった。笑顔のまま凜と「何度も仕事やめたいと思ったけれど、続けてこれてよかった」と言い切った。弱さを自身のコンテンツとしない小倉唯さんに本当に、果てしない強さを感じた。以前別の記事

最近、本当の「強さ」とは「弱さも肯定できること」ではないかと考える。

と書いたけれど、まさにこれを小倉唯さんは体現していた。小倉唯さんは自分の弱さや劣等感と正面から向き合い、それを受け入れ消化し、そうして前を向いて進んでいた。それが、圧倒的な強さだった。弱さが無い人の何倍も強かった。

弱さをコンテンツとして演出するやつには自分自身も心当たりがあって、私は強くなりたいけれどまあまだまだ弱い身で、でもそういう「弱さ」ってやっぱ庇護欲みたいなやつをくすぐるのか需要があるんだよね。女、泣けばだいたい許される説とかもそうだけど。だから、強くありたいけど弱い方がウケるなら弱いままの方が良いのかなあなんて最近ぼんやり思った。でも、違う。私は別に私が弱いからと好きになってくるような人達に好かれたいんじゃない。小倉唯さんのように圧倒的な強さで人を惹き付けられる存在になりたい。彼女が何かのラジオで「誰かの憧れになりたい」と発信したそうだが、もう私にとって彼女は十分「憧れ」である。

 

……というか、私自身もだいぶ強くなった。

もう「私は小倉唯みたいに~~じゃない」って言いながら泣いたりなんてしない。私が勇気を出して自己開示をしてみたら、彼氏は「強いところが好き」「あなただから好き」という言葉をくれた。それから「表層全てが可愛い」も。田村ゆかりさんの記事で「誰かの世界一可愛いになりたい」「私だから、と好かれたい」と書いたけれど、きっと、ずっと欲しかったものを私は既に手に入れていたんだと思う。今までそれに気づけなかっただけで。それに目を向けられるようになったのは、自分が強くなった証拠だと思う。

 

それから、私は、私にしかできないことがしたい。そしてそれで評価されたい。「私だから、と好かれたい」という話にも繋がるけれど。

このブログだってそうだ。ここでは自分にしか書けないことを書こうと開設した時から決めている。私は自分の強みを楽曲に対して真摯なところと、感情の言語化が上手いところだと思っている。なので、ブログの記事は自然と前者を活かしたライブの感想・楽曲考察と、後者を活かした日記的なものが中心となった。別に私は文章力なんて無いし何の専門知識(大学の専門は全く掠らない)も無いけれど、それでも私にしか書けない文章があると信じている。

自分の考える「自分にしか書けない文章」が詰まっているこのブログが私は大好きだ。

 

……小倉唯さんのライブの感想を書こうと思ったのに何故か自分のブログについて語っていた。謎である。

さて、今回は過去に無いくらい自己肯定感が高めの文章が書けた。これも小倉唯さんのおかげだ。

小倉唯さんは私の二つ年上で、彼女はいつも私の一歩先を走っている。小倉唯さんのようになりたいと彼女に「憧れ」ながら、また明日から自分の人生を一生懸命生きていこうと思う。

 

 

おしまい。