オタク徒然

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たぶん忘れてたのは 思い出じゃなくて 鍵の在り処だった

秋元康の歌詞は本当に男尊女卑・女性蔑視なのか?

大学のレポート用のやつをブログ向けに加筆修正したやつです。

 

【はじめに】

私はAKB48を始めとする秋元康プロデュースのアイドルグループのファンである。私自身は男尊女卑には特別敏感な方ではあるが、しかし男尊女卑と名高い秋元康のプロデュースするアイドルグループは嫌悪感無く受け入れることができる。そこで、今回は世間では男尊女卑のイメージが先行している秋元康氏が本当に男尊女卑的であるのかを歌詞を中心に検討したい。

 
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彼はよく男尊女卑な考え方の歌詞を書いて炎上する。最近で炎上した歌詞を紹介する。

はじめに紹介するのは今話題の欅坂46の楽曲である。

月曜日の朝、スカートを切られた

通学電車の誰かにやられたんだろう

どこかの暗闇でストレス溜め込んで憂さ晴らしか

私は悲鳴なんか上げない

 

死んでしまいたいほど愚かにもなれず

生き永らえたいほど楽しみでもない

もう持て余してる残りの人生

目立たないように息を止めろ!

(月曜日の朝、スカートを切られた/欅坂46)

 こちらの楽曲は実際に通学電車でスカートを切られたことがあると言う被害者である女性が披露中止を訴えたインターネットで署名を募り1万人以上の協力を集めた。この曲は主に二点の批判を集めた。一点目はスカートを切るという犯罪行為をカジュアルにアイドルに歌わせてはならないというもの。次は曲の披露をやめることを訴える署名運動のトップページの文面である。

 

目的地へ降りたあと親切なおばあさんがスカートを切られてることを教えてくれてはじめてスカートをずたずたに切られたことに気がつきました。

【略】

この曲をテレビで紹介しているときに嫌な思い出が蘇り電車に乗るのがまた怖くなりました。いまは落ち着いてますがとても怖いです。

たくさん傷ついている人がいる中でこんな曲を出すのは不謹慎だと思いますしこの曲のせいでこのような犯罪が増えてはとても困ります。電車に乗れない人だってもっとたくさん出てきたっておかしくない状況になることも考えられます。

キャンペーン · 【欅坂46】月曜日の朝、スカートを切られた という曲がどれだけ被害者に辛いものであるか。 · Change.org

痴漢行為というものは扱いの難しい問題であるため、このように気軽に国内有名アイドルグループの曲の題材にするべきではないという意見には私も同意できる。同じ犯罪行為を歌詞にしたものでも尾崎豊の「盗んだバイクで走り出す」とは重みが違う。

そしてもう一点の批判は女の子に我慢を強いる点が女性蔑視だ、というものだ。

「私は悲鳴をあげない」って歌詞、一見とても強くて気高さを感じるけど、おっさんが望む「女の子」のセリフとして受け止めると歌わされてるメンバーたちが気の毒。

高室 杏子 さんからのコメント · Change.org

 実際この曲は「鬱屈とした社会に抑圧されるしかない少女」がテーマであり、「私は悲鳴なんか上げない」「目立たないように息を止めろ!」と弱くて抵抗も何もできない女性を描いている。確かにこの曲の歌詞だけ見たら不快に感じる人は多いかもしれない。

しかし、秋元氏が本当に訴えたいメッセージはこの曲に描かれていることではない。この曲は欅坂46のファンの中では「エピソード0の曲」、つまりは本編が始まる前の前日譚に位置する曲だとされている。ここで欅坂46のファンの中で本編だとされる曲の歌詞を紹介する。まずは1stシングルの表題曲である。初めてのシングルの表題という観点から欅坂46の代表曲であるとも言える曲である。

君は君らしく生きて行く自由があるんだ

大人たちに支配されるな

初めからそうあきらめてしまったら

僕らは何のために生まれたのか?

(サイレントマジョリティー/欅坂46)

タイトルの「サイレントマジョリティー」とは物言わぬ多数派のことである。この曲は何も発言をしようとしない大衆に声を上げろ!と訴える歌である。「月曜日の朝、スカートを切られた」のアンサーソングであるとも言えるほど真逆のメッセージ性を持っている。

続いては4枚目のシングルの不協和音の歌詞を紹介する。

僕はYesと言わない 首を縦に振らない

まわりの誰もが頷いたとしても

僕はYesと言わない

絶対沈黙しない 最後の最後まで抵抗し続ける

(不協和音/欅坂46)

こちらも周りがどう言おうと自分は自分の意見を貫く、という強いメッセージ性の歌である。

欅坂46は元々メディアで「反逆のアイドル」とも呼ばれており、いわゆる世間の風潮に流されるな、逆らえというメッセージの歌を多く歌っているのである。つまり、月曜日の朝、スカートを切られたの1曲だけで「秋元康は弱くてNoと言えない女の子を望んでいる」とするのは早計であり、むしろ彼は一貫してそれとは反対のメッセージ性を持つ歌詞を書き続けているのである。

そして、同様のメッセージ性を持つ歌詞は何も欅坂46に限られたことではない。

何が正しいかなんてわけ知り顔で言うなよ!

大人たちは神かい? 自分の胸に聞いてみろ!

(空き缶パンク/NGT48)

革命の馬に乗れ! この街を走り抜けろよ

大人を恨んでも意味がない 明日のために立ち上がれ!

自由の先へ自分の道を切り拓け!

(革命の馬/乃木坂46)

大人(引用コメントの「おっさん」)の言う通りになるな、と大人である秋元氏自身が書くのは矛盾しているようにも感じられるが、実際に彼はそういった精神をプロデュースしているアイドルたちに望んでいると言っても差し支えないだろう。

さて、ここまでは彼の「女の子に我慢を強いる」という価値観についての話をしてきたきた。

次に、彼の「女の子はバカな方が可愛い」「女の子は守ってもらうべき存在である」という価値観の話をする。

女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい

どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない

女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい

(アインシュタインよりディアナ・アグロン/なこみく&めるみお(HKT48))

これは授業で習った物理学者のアインシュタインよりも女優のディアナ・アグロンに心惹かれると言う女の子の歌である。この歌詞は言い逃れようのない女性蔑視である。女の子に勉強はいらない恋が仕事……古臭い価値観のオンパレードである。「ママになるまで子供でいい」というフレーズから秋元氏が当然のように女性は結婚して出産、という人生を送るものだと捉えていることも窺える。また、おバカ「でいい」、子供「でいい」というフレーズから女性性を下に見ていることがよくわかる。そりゃこれは炎上するだろうよ…って感じだ。本当に平成に書かれた歌詞なのか疑問を感じる。

しかし、彼はこれとは真逆の価値観の歌詞も書いているのである。続いて紹介するのはAKB48の劇場公演での代表曲な楽曲である「鏡の中のジャンヌ・ダルク」である。

少女たちよ 今日こそ立ち上がる日がやって来た

夢があれば華奢な脚でも踏み出せる

いつか助けに来てくれる白馬の騎士

心の鎖引き千切った自分

(鏡の中のジャンヌ・ダルク/AKB48)

なんと白馬の騎士は自分」だと「少女」に訴えているのである。もう多くは語るまい。女の子は守られなきゃ♡とは正反対の価値観である。そう、秋元康はこういう価値観も持っているのだ。

また、彼は「人はかくあるべき」ということを望まない。

ブサイクもイケメンも紙一重 女の子 それぞれの理想系

みんなから見向きされなくたって私だけのプリンス

(ドリアン少年/NMB48)

 壁のミラーに写ってる君と僕のEveryday 確かにセクシーな君だけど

もっとリアルなだめだめな君も好きだ

(ジッパー/NMB48)

多数が望むようなイケメンじゃなくてもあなたは私だけの王子様、朝急いでバタバタしてる情けないだめだめな君も好きだ……これらはその人自身の本質を肯定していると言えるだろう。

秋元康はそもそも女の子、いや人間に「かくあるべき」とは望んでおらず、自分らしさを大切に戦って欲しいと望んでいるのではないだろうか。


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【おわりに】

確かに秋元康氏は女性蔑視の価値観を持っているだろう。彼が「女の子は馬鹿で大人の言うことを黙って聞く方が可愛く、素敵な人と結婚し子供を産むことが幸せ」という考えを持っていることは否定できない。しかし、それだけが彼の価値観ではない。彼はそれ以外にも多様な価値観を持ち合わせており、その中には「大人の言うことを全て聞く必要はない」「女の子も自分の力で夢を叶えろ」といったものもある。

そして、彼のその多様な価値観はAKB48を始めとする48グループにも如実に表れている。48グループには可愛くて正しいだけのアイドルのほかにも、顔はあまり可愛くないけれど性格の良さを武器に活躍するメンバーや、問題やスキャンダルを頻繁に起こすけれど多くの人に愛されているメンバーなど、多様性に富んだ様々なタイプの女の子がいる。様々なタイプの女の子を「あなたはあなたの武器で戦えば良いんだよ」と肯定してくれるのが48グループの本質なのだと感じる。

だから、男尊女卑や女性蔑視に敏感な私も、嫌悪感を抱かずに48グループを応援することができるのだろう。